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最高裁判所第三小法廷 平成2年(あ)72号 判決 1995年6月20日

主文

本件各上告を棄却する。

理由

一  上告趣意に対する判断

弁護人下村幸雄、同花房秀吉、同原滋二の上告趣意のうち、刑訴法三二一条一項二号前段の規定について憲法三七条二項違反をいう点は、刑訴法の右規定が憲法三七条二項に違反するものでないことは、当裁判所の判例(最高裁昭和二六年(あ)第二三五七号同二七年四月九日大法廷判決・刑集六巻四号五八四頁)とするところであるから、所論は理由がなく、その余は、違憲をいう点を含め、実質は単なる法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

二  職権判断

所論にかんがみ、タイ国女性一三名の検察官の面前における各供述を録取した書面(以下「本件検察官面前調書」という。)の証拠能力について職権により判断する。

1  本件検察官面前調書は、検察官が、退去強制手続により大阪入国管理局に収容されていたタイ国女性一三名(本件管理売春の事案で被告人らの下で就労していた者)を取り調べ、その供述を録取したもので、同女らはいずれもその後タイ国に強制送還されているところから、第一審において、刑訴法三二一条一項二号前段書面として証拠請求され、その証拠能力が肯定されて本件犯罪事実を認定する証拠とされたものである。

2  同法三二一条一項二号前段は、検察官面前調書について、その供述者が国外にいるため公判準備又は公判期日に供述することができないときは、これを証拠とすることができると規定し、右規定に該当すれば、証拠能力を付与すべきものとしている。しかし、右規定が同法三二〇条の伝聞証拠禁止の例外を定めたものであり、憲法三七条二項が被告人に証人審問権を保障している趣旨にもかんがみると、検察官面前調書が作成され証拠請求されるに至った事情や、供述者が国外にいることになった事由のいかんによっては、その検察官面前調書を常に右規定により証拠能力があるものとして事実認定の証拠とすることができるとすることには疑問の余地がある。

3  本件の場合、供述者らが国外にいることになった事由は退去強制によるものであるところ、退去強制は出入国の公正な管理という行政目的を達成するために、入国管理当局が出入国管理および難民認定法に基づき一定の要件の下に外国人を強制的に国外に退去させる行政処分であるが、同じ国家機関である検察官において当該外国人がいずれ国外に退去させられ公判準備又は公判期日に供述することができなくなることを認識しながら殊更そのような事態を利用しようとした場合はもちろん、裁判官又は裁判所が当該外国人について証人尋問の決定をしているにもかかわらず強制送還が行われた場合など、当該外国人の検察官面前調書を証拠請求することが手続的正義の観点から公正さを欠くと認められるときは、これを事実認定の証拠とすることが許容されないこともあり得るといわなければならない。

4  これを本件についてみるに,検察官において供述者らが強制送還され将来公判準備又は公判期日に供述することができなくなるような事態を殊更利用しようとしたとは認められず、また、本件では、前記一三名のタイ国女性と同時期に収容されていた同国女性一名(同じく被告人らの下で就労していた者)について、弁護人の証拠保全請求に基づき裁判官が証人尋問の決定をし、その尋問が行われているのであり、前記一三名のタイ国女性のうち弁護人から証拠保全請求があった一名については、右請求時に既に強制送還されており、他の一二名の女性については、証拠保全の請求がないまま強制送還されたというのであるから、本件検察官面前調書を証拠請求することが手続的正義の観点から公正さを欠くとは認められないのであって、これを事実認定の証拠とすることは許容されないものとはいえない。

5  したがって、本件検察官面前調書を刑訴法三二一条一項二号前段に該当する書面として、その証拠能力を認め、これを証拠として採用した第一審の措置を是認した原判断は、結論において正当である。

よって、刑訴法四〇八条により、裁判官大野正男の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官大野正男の補足意見は、次のとおりである。

一 本件の基本的問題は、出入国の公正な管理を目的とする入国管理当局による退去強制の執行と、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ事案の真相を明らかにすべき刑事裁判の要請とを、いかに調整するかにある。

出入国管理の行政上の必要が常に優先することになれば、犯罪の証明に必要な外国人を行政処分によって退去強制した場合でも「国外にいる」ことを理由として、証拠法上の例外である伝聞供述を採用し、被告人の証人審問権が行使される機会を失わせることになり、手続的正義に反する結果になりかねない。しかし、他方、その外国人が被告人の証人審問権の対象となる可能性があるということを理由に不確定期間その者の収容を続けることも、当該外国人の人権はもとより、適正な出入国管理行政の見地からみても、妥当とはいえない。

入国管理当局による出入国の公正な管理という行政上の義務と刑事裁判における公正の観念及び真相究明の要請との間に調整点を求めることが必要である。

二 法廷意見は、手続的正義、公正の観点から、検察官において当該外国人がいずれ国外に退去させられ公判準備又は公判期日に供述することができなくなることを認識しながら殊更そのような事態を利用した場合はもちろん、裁判官又は裁判所が証人尋問の決定をしているにもかかわらず当該外国人が強制送還されてその証人尋問が不能となったような場合には、原則としてその者の検察官面前調書に証拠能力を認めるべきものでないとすることによって、出入国管理行政上の義務と刑事司法の要請に一つの調整点を示すものである。

三 もとより、被告人の証人審問権の保障の趣旨からすれば、右調整は必ずしも十分ではない。特に、被疑者に国選弁護人制度が法定されず、現実に被疑者に弁護人がつくのは一、二割にすぎないと推量される今日の現状よりすれば、証拠保全手続に頼ることは至難であろう。また、起訴後といえども、弁護人が速やかに検察官から証拠開示を受け、収容中の外国人につき証拠保全を請求することの要否を早急に判断することも決して容易ではない。

検察官についても、犯罪の証明に欠くことのできない外国人について、その供述の信用性を確保するため、第一回公判期日前に証人尋問を行おうとしても、現行法制上、困難な問題がある。

今日のように外国人の出入国が日常化し、これに伴って外国人の関係する刑事裁判が増加することを刑訴法は予見しておらず、刑訴法と出入国管理及び難民認定法には、これらの問題点について調整を図るような規定は置かれていない。このような法の不備は、基本的には速やかに立法により解決されるべきである。

しかしながら、現に生じている刑事司法における困難を放置しておくことは許されず、裁判所、検察官、弁護人ら訴訟関係者の努力と相互の協力により、でき得る限り退去強制される外国人に対する証人尋問の機会をつくるなど、公正の観念に基づく真相究明を尽くしていくほかはないと考えるものである。

(裁判長裁判官 大野正男 裁判官 園部逸夫 裁判官 可部恒雄 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信)

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